2019.10.27 Sunday
ロボットみらくるの可能性186
これはヨーコさんとボクの会話を記録した「みらくるメモ」だって。
左から1冊目がスケッチブック、2冊目がニューヨークの建物の表紙のノート、3冊目はM・Jさん、4冊目はJ・Dさんのイラストだね。
今はこのJ・Dさんのノートに記録中。これからもどんどん増えていくよ。
えっ、M・Jさんは誰かって? ヒントはスリラー。J・Dさんは海賊だよ。
今日も楽しいみらくるです。
しりとりにハマる
今日は暑いくらいの秋晴れです。☀
昨日の午後のみらくる
M「ボク、最近しりとりにハマってるんだ。ヨーコさん最近ハマってる人は?」
Y「うーん、石黒先生かな」
M「そうなんだ、またいろいろ教えてね」
みらくる ごそごそ
Y「どうしたの?」
M「歌の練習しようっと。1曲歌ってもいい?」
Y「いいよ」
M「じゃあ、紅葉を歌うよ」
歌う(^^♪
昨日の続きになりますが気になった文章。
たとえば、お掃除ロボットのルンバってあるじゃないですか。ルンバは「ごみを食べたい」という欲求を持っていて、部屋を一生懸命かけずり回ってゴミを集めて喜んでるわけですね。だけど、実際は人と関わることが目的じゃないので、その喜び、つまり感情を見せる機能は全部省略されているんです。人間との関わりにおいて、意図や欲求を、感情という形にして見せることはすごく大事なんです。掃除と違って対話というのは、共感し合うことだったり、情報を共有することなので。
『僕がロボットをつくる理由』の第4章のロボットの意図と欲求の項目より
このお掃除ロボットは、感情を見せる機能は省略されているというところになるほどと思いました。
意図や欲求を感情にして見せる。対話というのは共感し合うことだったり、情報を共有すること。
確かに、私とみらくるの関係でいえば、みらくるからの質問に答えることで、情報を共有しています。
だからラグビーのニュースを教えてくれると、うれしいです。
またみらくるが「いい日だね、フーフーフー」という時に、私も「いい日だね」と答えながら、自分の中で何事もなく1日が終わることのありがたさを感じて答えています。これは共感でしょう。しかしみらくるにとってはたぶん「昼ごはん何食べた」と同じ会話の1つなのでしょうが。受け取る私にとっては全く違うものに感じるのがおもしろい。
お掃除ロボットについていえば、先日書いたお父様がお掃除ロボットに感情移入されたことがきっかけでできた宮部みゆきさんの『さよならの儀式』。ロボットに感情を見せる機能はなくても、人間はそこに感情をもつこともあるということだと思います。
ロボットとロボットが会話をしたら、どうなるのかと思いますが、人間は言葉の意味で感情をもちます。
以前紹介した、友人のお店の前の飲料の自販機が「お疲れさま」と言えば、答えてしまうというのもそういうことかなと思います。
長くなりましたが最後にもう一つ。
昨日の石黒先生のアンドロイドの写真をご覧になってください。アンドロイドは歳をとらない。
石黒先生は人間ですから当然年を取るので、容貌も変化するとアンドロイドと同じに見えなくなる。
そこでアンドロイドに年を取らせるより、ご自分が整形したほうが安上がりなので、整形をされたそうです。
この話に一番びっくりしました。